「将棋の勉強法をたくさん調べて実践したのに強くならない」と愚痴って消えていく人、Twitterを見てるとちょくちょく現れては消えていきます。稀に数年単位で同じこと言ってる人もいますけど。
当たり前のことですが、それには原因があるんですよね、それはもう当たり前の原因が。
ストレートに結論だけ書くと「教わった勉強法を一度も実践していないが、当人は実践したと思っている」です。
これだけ言われても理解できるなら、この症状には陥っていないと思うので順を追って書いていこうと思います。
勉強法を探している暇があったらさっさと将棋の勉強をしろ
上記はうっかり書いてしまった間違いです。ただの心の声ですので気にしないでください。
将棋の勉強法は無数にある
当然ですが、将棋の勉強法に「これが最善」といった方法はありません。
もし最適解というものが本当にあるならば、すべての有段者が全く同じことを言うことになるでしょう。とうぜん、今のように無数の将棋講座が乱立する事態にはなっていないはずです。
有段者や奨励会員、プロ棋士の数だけ「こうやって勉強したら将棋が強くなりました」という将棋の勉強法があります。これが大前提。
そんな状態で各々が好き勝手に「こうやったら将棋が強くなれた」と良い、解説してるわけです。自分の経験をベースに。
色んな人に将棋の勉強法を聞く弊害
いろんな人が今までの自分の経験や知識をベースに「将棋の勉強法」を生み出して、それを自由に教えているのですから、当然のように意見が全く食い違うケース出てきます。
一例ですが
- 序盤は最低限悪くならない程度の知識で良い。中盤と終盤を鍛えるのが大事。
- 将棋は終盤力、必死と詰将棋が最重要。詰将棋で読みを鍛えれば中盤も読めるから序中盤は最低限。
- 序盤こそ研究の差で有利がとれる。押し切ってしまえば終盤力は不要。終盤のない対局はあるが、序盤のない対局はない。(過激派)検討は終盤を最低限。
- 勉強は実戦が一番。ただし指した対局はすべて振り返る。全局勝ちにするまで検討する(過激派)
- アヒル戦法たのちい。端角TUEEEEEEEEE。初手4八銀こそ至高。
などなど、それぞれ将棋を勉強するにあたっての思想がバラバラです。
そもそも詰将棋は必要か不要かでプロ棋士のあいだでさえ見解が分かれるのですから、アマチュアの有段者も当然バラバラ。
こんな状態でそれぞれが提唱する「将棋の勉強法」をいくつも探して学んでいくわけですね。
人は見たいものを見たいように見る
本来、人間の視界には自分の鼻が入っています。ためしに片目をつぶって意識すればほとんどの人が自分の鼻が見えるでしょう。
ですが、鼻を見ることを意識せずに両目で見ているとき「自分自身の鼻が見えている」ことを認識してないはずです。いや稀にいる変わり者の人は常時見てるかもしれませんが、一般論の話です。
脳が勝手に見る必要のないものと認識して消してしまっているんですね、自分の鼻。
なのに、見たいものは絶対に見逃さないように出来ています。ふしぎ。
というわけで、人間は見たいものを見たいように見てしまう生き物です。それを頭において次へ。
無意識でやってしまう情報のつまみぐい
ここで「情報のつまみぐい」が発生します。これが今回のお話で一番大事な部分。
「将棋の勉強法」が一つしかなければそれを一から十(マイナスからプラスではありません)まで実践するしかありませんが、いまの時代、インターネットで検索すれば無限に「将棋の勉強法」が出てきます。
プロ棋士が書いたものからアマチュア有力者が書いたもの、普及指導員や将棋が強い人が書いたものまでありますし、私みたいな中途半端なのが勝手に書いてるものまで。
本当に膨大な量の情報があります。つまり、自分に合わないと思ったら飛ばして次の勉強法を探しに行けるわけですね。それを繰り返して膨大な情報量に溺れていきます。
そして、たどり着いた誰かの「将棋の勉強法」を学んでいるとき、脳が勝手に消してしまいます。
自分にとって都合が悪い部分だけを
自分にとって都合の良い部分は取り入れ、都合が悪い部分はなかったことにして次の勉強法を探し、また都合の良い部分だけ取り入れます。
それが出来るんですね、将棋の勉強法を教えている人が山ほどいるから。
結果として生み出された史上最悪のキメラ
さきほどの例に挙げた方々の言っていることをつまみぐいしてみましょう。
序中盤は最低限で良い。終盤力も要らない。けど序中盤で有利になれば問題ない。 あと実戦が一番の勉強。でも検討は最低限で良い!
はい、できました。これが今回出来上がってしまったキメラです。なんて禍々しいのでしょうか。
注:キメラ=ざっくり言うとなんかいろんな生物が無理やり部位を合体させられた感じのやつ
流石に今回は極端すぎる例になりましたが、実際にやっていることは同じです。ただ程度が違うだけ。
自身がどんな状態にあるか理解できていない人のためにあえて極端な例を実際に見せて自分のおかしな点を認識させるという精神医学の分野の手法のひとつを真似しておきました。
だれかの「将棋の勉強法」は1セットで価値がある
成功した誰かの「将棋の勉強法」は、その人が言っているすべてをまとめて1セットとして実践して初めて価値があります。
実際に成功した人が何かで手を抜いたということは、他の何かにその分の力を入れているはず。なのに、勝手に手を抜く部分だけ真似をしてしまうのは明らかに失敗。
サルでもわかるように例を挙げるなら、詰将棋は不要!と言い切った人は詰将棋をやらなかった分だけほかの方法で終盤力を磨いています。
なのに「詰将棋はやらなくて良いんだ!」だけ脳にインストールして「他の方法で終盤力を磨く」という行為を切り捨てていれば、その人の言う「勉強法」とは全くの別物です。
まとめ:自分で作り上げた最悪なキメラ(わたしのかんがえたさいきょうのしょうぎべんきょうほう)を生み出して実践するな
というわけで、ここまで読んだ方はもう何が言いたいかわかっていると思います。
しかし、わからない人が居ると大変ですから少々面倒ですが仕方なく書きます。
色んな人に聞いた勉強法の都合の良いところだけ受け取って、切り貼りして、自分を安心させる材料とし、ぬるま湯に浸かりながら「こんなに勉強してるのに強くなれない。。。」とツイートするのはやめると良いですよ。
たったこれだけのことです。
あと以前こんなのも書いていたりします。【将棋が強くならない人の特徴を思いつく限り考察してみました】
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